Genius, Who Grew Genius
偉大な人がまた一人、亡くなった。

天才打者イチローを育てた名将、仰木彬。

「がんばろうKOBE」をスローガンに掲げた1995年の優勝。

96年の日本一。

あの光景は忘れられません。

仰木監督のブルーウェーブ監督時代の最後のゲーム、観戦に行ってました。

監督の一挙一動にわくわくしてました。

もうあの勇姿は見られない。

天才を育てた天才。心よりご冥福をお祈りいたします。

今年は訃報が多すぎる。悲しい。

◆仰木彬(おおぎ・あきら) 1935年(昭和10年)4月29日、福岡県生まれ。東筑高時代4番兼エースで甲子園出場、54年に西鉄入りした。プロでは二塁手に転向、黄金時代の一員として活躍。14年間の現役通算は1328試合、2割2分9厘、70本塁打。西鉄、近鉄コーチを経て88年に近鉄監督に就任。89年にリーグ優勝した。94年からオリックスに移り、95年にリーグ制覇、96年にイチローらを率いて、日本一に輝いた。04年、野球殿堂入り。昨年末、近鉄・オリックス合併球団の監督を任され、復帰した。監督通算は1856試合で988勝815敗53分け、勝率5割4分8厘だった。

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